1945年を忘れるな!

<B>『ケストナー終戦日記』</B>(エーリヒ・ケストナー/福武文庫/\450)読了

エーリヒ・ケストナーはドイツ児童文学の傑作『エーミールと探偵たち』の
作者として知られている。うん。オレもガキの頃読んだ。

ケストナーは第二次大戦当時、ナチスより「好ましからぬ作者」の烙印を
押されて執筆禁止の作家となる。大戦も押し詰まり、仲間の作家たちが多数
亡命したり脱出したりする中、彼はドイツ国内に残る方を選び、ベルリン陥落
・祖国の崩壊と再生を目の当たりに見ることになるのである。
これは彼が終戦間際に書いていた日記の断片を再構成したもの。

ナチス・ドイツは狂っていた。確かにその通り。でも独裁者ヒトラー、圧制者
ナチス党と、虐げられる民衆という分かりやすい構図は間違いである。民衆は
為政者に賛同する者と、否定しない者と、そしてごく少数の抵抗者からなるのだ。
ケストナーは容赦なく書いている。
 <B>「良心はまげることのできるものだ」</B>

自分の国が、自分の街が戦場となった国の国民は、それでも生きていかねば
ならない。ユダヤ人の妻をナチスに売り飛ばした男も、終戦をきっかけに
ナチスとなる。いや、元から反ナチスであったと主張する。
まあ、しかたのないことなのだろう。そこにヒロイズムを期待するのは間違って
いる。枢軸軍が悪で連合軍が正義だなんて比較も間違っている。
実世界は小説じゃないんだから。

と、いうわけで敗戦国ドイツの、まさにその瞬間の一般の人たちがハデな歴史的
事件の中でどう右往左往していたか、かなり醒めた目で見た記録。
実は戦史や悲惨な体験記などよりこっちの方が遙かに有用であると思うのである。
為政者が悪いとか戦争が悪だとか、それは何か自分以外のモノに都合よく責任を
押しつけているだけなのではないのだろうか?

断っておくが、だからどうしろ、と言うつもりはさらさらない。