2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

江木姉妹小伝(51)

先に述べたように、元来阿部家福山藩は元和元年(1619)福島正則が改易され、徳川家康の従兄弟にあたる水野勝成が入封して以来のバリバリの佐幕派であった。ペリー来航以後国内外に不穏な動きが広がる中、安政元年(1854)藩内の人材育成のため、藩校弘道館を発…

江木姉妹小伝(50)

江木鰐水もまた、この洋食にがっついていたひとりなのである。中国人通訳と筆談を交わした記録が菅自牧斎の「時彦金石文集」にあるとのことである。ちなみに後甲板にもパーティー終了間際にペリー自身が登場したとのことで、鰐水も直接ペリーを目にしている…

江木姉妹小伝(49)

林大学頭以下幕府高官達はペリー提督の船室にて直々にもてなされたが、その他約60人の日本人達は後部甲板に設えられた宴席にてもてなされることとなった。このパーティの様子は米国側の記録に基づけば次のようになる。提督は、日本人にアメリカ風のもてなし…

江木姉妹小伝(48)

幕末動乱時、福山藩主阿部正弘は幕府筆頭老中となっており、ペリーの黒船来航に対応し、日米和親条約を締結するなど活躍したが、これが幕末の攘夷運動に火を点けたとも言える。正弘自身は安政4年(1857)に39歳で急逝しているが、ともかく福山藩は当然佐幕派で…

江木姉妹小伝(47)

鰐水は当初医学を志していたが、文政11年(1828)小寺葵園の塾で関藤藤陰と会ったころより儒学に傾倒し、妻と死別したこともきっかけになったか、医を捨て、天保元年(1830)京都の頼山陽に師事することとなった。頼山陽は幕末における尊王攘夷派の思想的背景と…

江木姉妹小伝(46)

江木定男の祖父、保男の父親は幕末備後福山藩の儒学者江木鰐水である。福山藩における尊皇開国派の急先鋒であったらしい。生まれは文化7年(1810)、安芸国豊田郡戸野村(現在は東広島市河内町戸野)の割庄屋、福原与曽八(号、貞章)の第三子として生まれてい…

こんにちはお元気ですか?

わたしもいろいろありますがなんとか生きております。と、いうわけで江木です。なんでこんなに間が開いたのかというとですね、次に登場するのは江木鰐水という人なのですが、この人の日記が刊行されておりまして、それを読んでから続きを書こうと思った訳で…