江木姉妹小伝(49)

林大学頭以下幕府高官達はペリー提督の船室にて直々にもてなされたが、その他約60人の日本人達は後部甲板に設えられた宴席にてもてなされることとなった。このパーティの様子は米国側の記録に基づけば次のようになる。

提督は、日本人にアメリカ風のもてなしを見せてやろうとして、水夫や給仕を除いても客が七十人を超える大パーティーを準備した。高位の委員たちが従者と同じ卓につくことはないという日本の厳しい作法はわかっていたので、二つの宴を催した。一つは提督の船室で高位の役人たちをもてなす宴、もう一つは後甲板での宴だった。(中略)五人の委員は、立派な宴の用意された提督の船室へと案内された。それに次ぐ位の六十人の役人は後甲板の雨よけの下の大きなテーブルで、たっぷりとした食事を供された。
(中略)
各艦から集まった多数の士官にもてなされていた甲板の一行のほうは、あふれるほどのシャンパン、マデイラ酒、それにパンチなどの好みの酒を振る舞われてやかましくなってきた。健康を祈って日本人たちが乾杯の音頭をとり、すすんで杯を干した。座を盛り上げようと楽隊が演奏する軽快で楽しい音楽をしのぐほど、声を限りに叫んでいた。とにかく騒がしい陽気さで、お客はとても楽しんでいた。飲み物と同様に食べ物も口に合ったようで、テーブルに山と積み上げられた、量も種類も豊富な料理がまたたく間に消えていくのには、アメリカ人の健啖家すら驚くほどだった。そのがっつきようといったら、料理の選択とかコースの順序などないのだ。魚や肉や鶏もない、スープもシロップもない、果物だろうが、炒めようが炙ろうが煮ようがどうでもいい、酢漬けも砂糖漬けもない、といった様子だ。食事は最大限用意してあったので、客たちが満腹したあとにもやや残りが出たが、日本人はいつもの流儀で、残り物を丁寧にしまって持ち帰った。(中略)
夕暮れになって、日本人は持てる限りのワインとともに帰る準備を始めた、陽気なマツサキは提督の首に腕を回して抱きついて新しい肩章を押しつぶし、めそめそしながら日本語でこう繰り返した。
「ニッポンもアメリカも心は一つだ」
そして彼よりはしっかりしている同僚に助けられながら、千鳥足で舟に戻っていった。最後の舟がポーハタン号から離れるときにサラトガ号が十七発の礼砲を撃った。そして艦隊はいつもの静けさと艦隊勤務の日常に戻った。
【ペリー提督日本遠征記】