江木姉妹小伝(33)

 気おくれがして、三人が黙ったままでいると、
「遠慮しないでいいのよ。そう、わたしからわたし自身のことを話すわ。
そうしたほうが、みんなも話しやすいだろうから」
(中略)「関にも、これはおかあさんがちがう妹がいるの。それが不思議ねえ、お
なじこの淡路町の、やはり江木っていう写真館にとついできているのよ。
こちらの江木の家とはぜんぜん縁つづきでもなんでもないんだけど。でも、
親しくつきあっているわ」
(中略)やがて、執事がしらせてきて、また仏像の立ちならんでいるうす暗い黒光
りのする広い廊下を、奥庭に面した客室へ導かれた。
(中略)洋式のフルコースの晩餐だったが、徳次は戸惑ってばかりいて、落語か
講談のように、登鯉子のするしぐさどおりにまねた。

この本は早川徳次の伝記小説であり、徳次本人へのインタビューを元に書かれてい
るので、基本的な事項は押さえてあるようであるが、どこまで真実なのかは不明。後に書かれた徳次本人の筆によると、次のように書かれている。

   十九年ぶりに順次、これらの兄弟に会ったわけだが、奇談というのはさ
  らに別の姉が出現してきたことである。「私立探偵岩井三郎」という名刺
  の人が突然私の工場に来て、その姉すなわち江木欣々に会えというのであ
  る。母親花子は早川へ嫁ぐ前、愛媛県令関新平に嫁して一女栄子をあげた
  が、故あって実家に帰った。栄子は数奇な運命の下にあったが、後、法学
  博士江木衷に嫁し、雅号を江木欣々といった。彼女は明治大正期の社交界
  の花形として存在していたが、われわれ三人のことを知ると直ちに岩井探
  偵をよこしたのである。江木家へ三人の兄妹が初訪問した日には、黒塗り
  の二頭立て馬車が迎えに来て、尾崎行雄、花井卓蔵、碓居龍太など知名の
  人々も現われて、われわれは披露された。まばゆいばかりはなやかな姉の
  生活だった。
  【早川徳次私の履歴書

再会後の早川徳次は栄子を慕い、なにかと気に掛けていたようである。天涯孤独と
思われた身に、17歳年上の姉の存在は、母親がわりに映ったのかもしれない。
夫江木衷を亡くしふさぎがちになった栄子を大阪に誘ったのも徳次である。結局そ
こで自殺することになるのだが、栄子の遺書を見ても、この、数十年ぶりに会った
姉弟は信頼しあっていた事が分かるであろう。

<続く>