江木姉妹小伝(2)

誰か有名人なんだろうかと思ってインターネットで検索してみたが、よくわ
からない。話の流れから、当時名を馳せた自由主義運動関係の人かなあ・・・
とも思ったが、ともかく本屋に行った時に調べてみることにした。
『女性人名辞典』というのを開くと、ぱっと見たところ載っていない。やっ
ぱりねと思って、ふと見返してみると【江木欣々】という名が目に付いた。
中を読んでみると、この人であった。この情報は1/25の日記に載せたもの。

 えぎ きんきん 江木欣々 明治10年(1877)〜昭和5年(1930)
 明治期の法律学者江木衷の妻。本名栄子。号を欣々、または欣々栄と称
 した。愛媛県令関新平の二女。東京新橋の美貌芸者として嬌名をはせ、
 間もなく衷と結婚した。詩、書、画、篆刻謡曲と広い趣味と才人ぶり
 を見せ、社交界の花形となった。大正14年(1925)に夫と死別してから、
 寂しい晩年を送り、大坂の弟の家で自殺した。鏑木清方の名作「築地明
 石町」のモデルとして知られる。54歳。【女性人名事典】

ともかく数奇な人生を経た女性で、その生涯が小説のモデルになったんかな?
と思ってちょっと調べてみると、鏑木清方は小説家ではなく、かなり有名な
日本画家であった。「築地明石町」も彼が描いた美人画であり、見せられて
みると、確かに見たことがある。そのままインターネットで思いつくままに、
「江木欣々」「築地明石町」というキーワードで検索してみると、どうも
ひとくせもふたくせもありそうな人物がぞろぞろと出てきたのである。特に
「築地明石町」のモデルは栄子ではなくて、妹のませ子であると分かってか
ら、ガゼン面白くなってきた。
ひょんなことから調査を開始し、結構な情報量が溜まってきたので、ここら
でいったん纏めておこうと思ったのである。
こんな、どう多く見積もっても10人も見てない日記でやること自体に意味
があるかというと、それはないのは重々承知なのではあるが(笑)

ともかく、幕末・明治から大正・昭和にかけた江木栄子と彼女にまつわる人
達のお話を何回かに分けて書いてみよう。こーゆーのは調べている時が一番
面白くて、こうやって紀伝体でまとめてしまうとあんまり面白くないものな
のだが。

なんていらぬ前口上だけで2回も潰してしまった。

<続く>