江木姉妹小伝(11)

東京都練馬区にある遊園地、豊島園の側に小さな日本庭園がある。向山(こ
うやま)庭園という名のその庭園は、閑静な住宅街の真ん中にありながら鯉
の群れる池と豊かな緑を備えた庭を持つ本格的な純和式の家屋で、現在その
母屋と茶室は、近隣区民の文化活動のために一般公開されている。
この家屋は昭和初期、ライオン首相と呼ばれた浜口雄幸内閣の鉄道大臣の邸
宅であった。この鉄相こそ江木翼である。

翼は明治6年(1873)4月24日、江木衷と同郷の山口県生まれ。江木衷の一族が
位が低いながらも士族であったが、この人は商人の出である。玖珂郡御庄
の造り酒屋で、庄屋でもあった羽村卯作の三男として生まれている。
少時から神童と呼ばれていたようで、山口高等中学校時代に文学に走り、柳
田国男や国木田独歩らと共に龍吐会を組織したりしていた。翼は晩年まで読
書家として知られたが、その遠因はこのあたりにあるのだろう。高等中学を
卒業して東京大学に入学、衷の後輩にあたる英法科に進んだ。同郷のよしみ
で衷と知り合ったものらしい。あるいは山口時代から知り合いであったかも
しれない。

この当時は、先の千之の言葉にもあるように出身地による藩閥、人脈が大き
くものを言った時代であり、地方の若者は先に東京に進出している先輩を頼っ
て上京し、書生として暮らしながら勉強し、職を世話してもらうというのが
ごく普通だった。おそらく翼もこのケースだろう。衷が官界を辞するかどう
かという時代であり、その口利きで千之にも紹介されたのだろう。千之には
秀子という娘がいたが、男子には恵まれなかった。翼は明治30年(1897)に大
学を卒業すると同時に、茨城県令江木千之の婿養子に入ることになる。

翌31年文官高等試験に合格し、内務省を振り出しに官僚の道を歩む。神奈川
県事務官を経て明治36年(1903)に法制局参事官、その後内閣書記官を、明治
43年(1910)拓殖局部長を歴任している。
貴族院議員の養父千之の後ろ盾か、翼には有力者の知人が多い。千之は同郷
山口県出身の山県有朋系の官僚政治であり、翼も長州系官僚の若手有望株と
期待され、山県有朋派の番頭、寺内正毅などに可愛がられたようである。

このまま順当に行けば、翼は長州系の官僚政治家として、ある程度成功し、
一生を終えたかもしれない。しかし翼は敢えて自らそれを拒否する。

<続く>