江木姉妹小伝(19)

さて法学博士江木衷のエピソードを少し追加してみよう。

現在でも経済・法学関係の学術書で有名な有斐閣書房であるが、その経営の基礎は
江木衷の本を出版したおかげであるそうだ。有斐閣書房は明治10年(1877)創業であ
るが、創業者の江草斧太郎は神田一ツ橋に店を構え、商売を越えて学生たちの面倒
を見ていたとのことで、江木衷も学生時代に世話になったらしい。その縁で衷は
『法律解釈学』を有斐閣書房より発行、続いて出版した『現行刑法汎論』(明20)
『現行刑法各論』(明21)がバカ売れし、有斐閣書房の経済的基礎ができたのだとこ
と。この件は有斐閣書房の社史にもわざわざ章を立てて紹介されている。

明治後期から大正時代にかけて衷が尽力していたのは、陪審制度の確立である。陪
審制というのは、現在アメリカの法廷で行われているもので、一般から12人の陪審
員を選抜して行う裁判制度のことで、映画などでもおなじみのシステムである。衷
は花井卓蔵らと司法の民主化を提唱し、この制度を日本に導入しようといろいろな
活動をしていた。衷も一般へ向けた陪審制度の啓蒙書を何冊も出している。その結
果、日本でも大正12年陪審法が公布され、昭和3年より施行された。ちなみにこ
れは普通選挙法より昔の話である。
しかし日中戦争が勃発すると、昭和18年の「陪審法ノ停止ニ関スル法律」により陪
審法は一時停止される。これは廃止ではなくて、あくまでも一時停止なのである
しかし日本においては、戦後になっても司法当局の反対により、制度の復活がなさ
れることなく、未だに停止中のまま、現在に致るまで再開の目処は立っていない。

江木衷の評判を客観的に見ることのできる資料はないものかと探していたら、日本
弁護士連合会が出版した『弁護士百年』という本を見つけた。江木衷についても1
ページ割かれており、「陪審制度の実現には情熱を持ち、明治末年以来、政府に働
きかけ、ついに陪審法を実現させたのは江木の努力の賜といってよいだろう」と書
かれている。
また、この本に明治44年(1911)の「東都弁護士一覧」が採録されている。これは相
撲番付に似せて弁護士を評判順に並べたもので、番付表のど真ん中に鳩山和夫と並
んで江木衷の名が見える。その他裏が取れていないのだが、孫文が来日した時に江
木衷の家で歓待したなどという話も伝わっている。

<続く>