江木姉妹小伝(21)

  江木衷博士逝く
    欣々夫人も面窶れして
     ◇…告別式は十二日

  数日来危篤の状態にあった法学博士江木衷氏は八日午後二時半牛込区砂土
  原町の自宅で遂に逝去享年六十八、夫人ゑゐ子は欣々女史として知られ家
  に子女なく家族は養嗣子富夫氏のみである、同邸では午後五時喪を発した
  が弔問客で混雑を極はめ約二ヶ月にわたる看護に面やつれした欣々女史は
  内閣書記官翼博士夫妻と共にその間を斡旋して憂愁のいろ庭内にみちてゐ
  た、因みに告別式は十二日午後一時から二時まで自邸で行ひ谷中墓地に埋
  葬の筈であるが危篤の旨天聴に達し特旨を以て勲二等に叙し瑞宝章を授け
  られた
  【東京日日新聞大正14年4月9日朝刊】

死亡広告は、兄の江木千之と栄子の連名で、各新聞に出されている。

  冷灰江木衷  四月八日午後二時三
  十分逝去致候御通知に代へ此段謹告
  仕候
   来四月十二日午後一時より二時迄牛
   込区市ヶ谷砂土原町三丁目十七番地
   自邸に於て仏式を以て告別式執行致
   候
     四月十日    江 木 栄 子
             江 木 千 之

衷の葬儀は栄子が一手にひきうけたが、かなり盛大で豪華なものであったらしい。
栄子には実子はなく、多くの書生と手伝いを抱えたまま、46歳で栄子はひとり取り
残されてしまうこととなった。沓掛の別荘をはじめ、衷の遺産も多く残されていた
ため、生活面で苦労することはなかったが、衷という後ろ盾を失ったことにより、
華やかな表向きの生活はなくなり、女手ひとつで家を切り盛りしていた。女中の頭
数を減らし、書生たちの面倒を見ながら、趣味の世界に無聊を慰めていたようであ
る。

  大正十四年に夫君の衷博士に死別れてからは家政整理を弱い女の一つに引
  受けながら淋しく故博士の菩提を弔つていたが博士の死後間もなく某伯爵
  が權威をかさにきて結婚を申し込み見事にひじ鐵をくはせたものである
 【東京日日新聞 昭和5年2月21日付朝刊】

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