江木姉妹小伝(26)

春浅し・麗人の
 哀しき帰京
  欣々女史の遺骸帰る

春浅き廿三日朝九時、今にも泣きだしさうな空もやうの東京駅に一世の
佳人江木欣々女史の遺骸が著いた、八時半の待合室の名刺受には名詞が
うづ高く、九時には二百余名の出迎へ、江木千之夫人や長谷川時雨女史
などの顔も見へる、正九時、貸切柩車から花輪に埋もれて白布に包まれ
た霊柩が早川徳次、同政治、拓務省の高橋秘書課長などに護られて降さ
れる、出迎への人々は目がしらをうるませる、婦人の中からはすゝり泣
きの声がもれる、華かなりし時にくらべて余りにも淋しかつた晩年が今
更の如く人々の胸を打つ、養嗣子江木富夫氏は
 実際数奇を極めた一生で父の歿後は淋しいものでした、今日
(廿三日)は練馬の自邸へ帰り廿五日午後一時から二時まで谷中
 斎場で告別式を行ひ直に谷中の父の墓所の隣に土葬にする予定
 です
と声をうるませてゐた
東京日日新聞昭和5年2月24日朝刊】

 江木栄子本月二十日午後八
 時於大阪死去致候ニ付二十
 五日午後一時ヨリ二時マデ
 上野谷中斎場ニ於テ告別式
 執行致候御通知ニ代ヘ此段
 謹告仕候
  親戚総代 江 木 富 夫
【東京朝日新聞昭和5年2月24日朝刊】

辞世の句は「池の面の夕日に映えし紅葉かな」という。
享年54歳。東京谷中墓地の江木衷のお墓の隣に並べて葬られた。

<A HREF=http://www.cc.rim.or.jp/~hustler/archive/egi.html><続く></A>