江木姉妹小伝(29)

ところで、栄子が亡くなったのは静養に訪れていた早川徳次邸であると新聞記事に
書かれている。名字は異なるが、栄子の異父弟なのだが、この早川徳次という人、
何を隠そう家電大手の株式会社シャープの創業者早川徳次(とくじ)その人なので
ある。地下鉄の父と呼ばれた早川徳次(のりつぐ)とは別人。

さて栄子の母花子を思い出してもらいたい。
関新平に手をつけられ実家に帰された花子は、栄子を里子に出した後、実業家の早
川政吉に嫁いでいた。早川家は旧幕時代から京橋北新堀にあった桝屋という袋物屋
を営んでおり、明治9年に久松町へ移転していた。花子の実家大和屋も袋物商である
ことから、その縁なのであろう。花子との結婚の頃には、政吉は一閑張りのチャブ
台の製造・販売をしていたらしいが、花子の実家大和屋に縁のあった実業家森村市
左衛門のツテでミシンを輸入し、小さな縫製事業を起こしていたらしい。時代の流
行は着物から洋装に移っており、その関係であろう。森村という人は、一説による
と大和屋の番頭であったというが、おそらくそれは間違い。というのもこの森村市
左衛門、旧森村財閥を一代にして築いた森村市左衛門その人であるのだ。
森村財閥は現在のTOTO(旧東洋陶器)、INAX(旧伊奈製陶)、日本碍子ノリタケ
などを擁している財閥グループであり、元々は銀座の袋物屋で後に森村テーラー
いう西洋服飾を扱う店を開いた。大和屋との繋がりはこの頃のことと思われる。森
村はその後、福澤諭吉の薦めでアメリカとの貿易を目指して森村商会を設立、明治
9年(1876)ニューヨークに進出する。その縁で福沢諭吉の息子たちや慶應義塾生が
渡米留学した際に、この会社が一手に引き受けて面倒をみていたという。

早川政治には前妻との間に彦太郎、静子という一男一女がいたが、花子との間にも
二男一女が生まれている。登鯉子、政治、徳次で、末子の徳次が生まれたのは明治
26年(1893)のことである。早川の洋裁業は、おりから始まった日清戦争のために順
調に進んだが、その多忙さからか、夫婦共に病に倒れてしまう。
彼らは栄子から見れば異父弟妹ということになる。
栄子は実親も知らないまま里子に出されており、花子の子等もまた養子に出され、
この兄弟らはお互いの存在を知らぬまま育っていくことになる。
<A HREF=http://www.cc.rim.or.jp/~hustler/archive/egi.html><続く></A>