【久しぶり!】江木姉妹小伝(40)

関場不二彦が明治25年(1892)に区立札幌病院へ赴任した時に、悦子が一緒について
北海道に渡ったものと思われる。ところが悦子は厳寒の札幌生活に合わなかったの
か、はたまた夫婦間がうまく行かなかったのか不明であるが、まもなくそこで離
婚、ひとり東京に帰ってきていた。明治29年1月の一葉日記に「今は江木が写真師の
妻なれど関えつ子の裾模様出で立ち」と書かれていることから分かるように、悦子
明治28年(1895)に再婚している(明治28年5月には「関場君」と呼ばれているの
で再婚はその後)。ここに出てくる「江木が写真師」とは、神田淡路町二丁目に江
木写真館を経営していた江木保男という実業家のことである。同じ江木姓を名乗っ
てはいるが、江木衷や千之の江木家と縁戚関係にはなく、ただの偶然である。

江木保男は隅田川の一銭蒸気の経営や乗合馬車にも参画するなど、洋風文化が入り
込んだ明治という時代で手広く事業を手がけており、写真店も神田淡路町と新橋
京橋区銀座土橋)に2支店構えていた。神田淡路町二丁目の本店は、江木衷の黒
門の邸宅と同住所であり、両江木家は同じ町内のご近所さんだったのである。江木
写真館の淡路町店が開いたのは明治17年(1884)、9年後の明治26年(1893)に江木衷
が引っ越してきており、そこに異腹の姉栄子が嫁いできたのである。これも全くの
偶然である。

ちなみに樋口一葉も一時淡路町に住んでいたことがある。明治22年3月からというこ
となので、江木写真館はすでに開業しているが、友人の悦子はまだ独身で関清英邸
にいたものと思われる(父親の関新平は明治20年没)。悦子と樋口国子がいつ出会っ
たのかは分からないが、悦子はその後関場不二彦に嫁いで北海道に渡るので、一葉
も友人が数年後にご近所の有名写真館の主人と再婚するとは思ってもみなかったで
あろう。

悦子は再婚であるが、江木保男も結婚歴がある。福山藩の儒学者であった父親江木
鰐水の弟子の娘と明治18年(1885)に結婚しており、ふたりの間に定男という名の息
子をもうけていた。しかしこの奥さんが(蝶子)明治27年(1894)に病没したため、
まもなく北海道から帰ってきた悦子を後妻として迎え入れたものらしい。ちなみに
悦子から見れば保男の連れ子となる江木定男は明治19年(1886)生まれであり、実妹
のませ子と同い年の息子ができたということになる。

<続く>