江木姉妹小伝(44)

 五十年にもなる。一高のとき私は新入生の一人(註:定男)と友達になつて、毎
週一二回は訪問しあふといふほど近しくした。楽しい期待に胸をふくらませていつ
て案内を乞ふと予て噂にきいた親戚の令嬢(註:ませ子)といふ美しい人が小走り
に出てきて取次いでくれる。はたち前後か、背の高い、強くひいた眉の下に深くぱ
つちりとした瞳、錦絵からぬけでた昔風のそれではなく、輪郭の鮮明な彫刻的な美
人だつた。しづかにあいた襖から小腰を屈めて現れる姿、膝のまへにしとやかに両
手をつく。さてその取次ぎぶりだが、まるで言葉が唇からこぼれるのを惜むやうに
ぎりぎりのひと言しかいはない。実はこちらもその式ゆゑそれはいいとして、生来
の無愛想でも不機嫌でもなささうなのに表情の影さへない、慣れれば微笑ぐらゐは
普通だらうに。大理石像は冷くとも表情がある。これは地が通ひながら呪法で魂を
氷らされた仮死の肉体である。そこになにか鬼気をさへ感ずる。そんな風でその後
何年か足繁く訪問するあひだつひぞ暑い寒いの挨拶もせず、ただの一度も笑顔を見
たことがなかつた。とはいへその不可解な物腰はそれ故に反つて奇異に消し難い印
象を私に与へた、鋭い刃物で胸板に刻みつけるやうな。彼女には懇望されての婚約
者があつた。
 そのうち何かの理由でそれが解消されると入代りに友人の一途な恋愛が始まつ
た。私は心から成功を祈り且つ予想される困難について心配したが、結局それはめ
でたく実を結んだ。友人の話は自分の恋愛にはあまり触れずに先方から結婚を懇願
されたらそれならと引受けたといふいひかたで、彼女は喜んで泣いているともきい
た。そしてそれを裏書きするやうに彼女はそれからは別人のごとく明朗快活になつ
た。よく知らないが二人は性格と若気にまかせ馬勒をはづした派手な生活を続けた
らしい。その点完全にうまの合つた夫婦であり、申分のない伴侶であつた。<BR>
【呪縛/中勘助

<続く>