江木姉妹小伝(31)

早川徳次は奉公に出る前から、出野源八は自分の実父でないことに気づいていたが、
実親が誰かまでは分かっていなかった。しかし大正3年頃、出野家に立ち寄った際に
に実親早川家の事を知り、日本橋鉄砲町の浅田という親戚経由で姉登鯉子、兄政治
と再会を果たす。すぐに母親違いの彦太郎、静子とも会うことになるが、この時に
は両親の早川政吉、花子は既に亡くなっており、再会を果たすことはできなかっ
た。再会当時、登鯉子は小林家に嫁いでおり、三越百貨店で貴賓接待係を、政治は
自転車業に。彦太郎は母親方の白石家を継いでおり、日本橋の綿糸問屋へ。静子は
大倉組の建築技師後藤に嫁いでいた。そしてこの頃徳次は文子と結婚している。そ
の後まもなく(おそらく翌大正4年)、徳次は異父姉にあたる江木栄子とも再会を果
たすこととなる。

栄子は明治30年頃に江木衷と結婚したが、養子関係が複雑で、自分の戸籍がどうな
っているのか分からなくなっていたらしい。そのため自分の出自を調べているうち
に、自分の実父が関新平であるを知り、同時に腹違いの妹ませ子の存在を知ること
になる。栄子とませ子は明治33年頃に再会、というか、初めて顔を会わせるが、こ
の頃には早川花子も亡くなっていたため、これ以上の調査は難航したのであろう。
その後しばらくたってから、早川に嫁いだ花子に子供(栄子から見ると異父兄弟)
がいることが突きとめられる。
この調査は当時有名だった岩井三郎探偵事務所に依頼して調査されたものだが、岩
井三郎は大正4年頃に早川徳次兄弟を見つけ出し、栄子と徳次は初対面することにな
る。ませ子との再会から10数年後、栄子35歳、徳次22歳の時のことである。

栄子が調査を依頼した探偵であるが、この岩井三郎という人は日本の私立探偵の草
分け的存在であり、一時江戸川乱歩が入社を夢見ていたという名門である。元警視
庁の刑事であったが、明治28年に私立探偵として独立。「花王歯磨き密造事件」や
「古河炭鉱詐欺事件」で活躍し、「伊達事件」で弁護士界や上流階級に名を広めた。
大正2年には「シーメンス事件」を調べ上げ、日本海軍の汚職事実を明るみに出した。
雑誌連載小説のモデルとなり、伊達事件を小説化した檀一雄の小説「夕陽と拳銃」
(のち映画化)にも登場、全国にその名を轟かせた。余談だが明智小五郎や祝十郎
月光仮面)のモデルとなったのもこの人だそうだ