江木姉妹小伝(32)

ところで江木栄子と早川徳次の再会シーンはこのようであったと言われている。

   馬車はやがて江木家に着いた。
  (中略)
   もと、木造の昌平橋がかかっていたたもとのところだった。
   昔の旗本屋敷そのままに、黒く重い木の、どっしりとものものしく冷た
  い屋敷門のある古風な構えで、その門の柱には江木法律事務所と書かれた
  大きな表札がかけられてあった。
   馬車は門をくぐって、玄関で三人をおろすと、邸内の馬屋のほうへ走り
  去った。
  「いらっしゃいまし。奥様がそれはもう、お待ちかねでいらっしゃいます」
   数人の書生たちや女中たちに出迎えられて、表玄関から、等身大の仁王
  像や仏像が幾体も立ち並べられてある、うす暗い、ちょっとお寺のような
  感じのする広い廊下を、左手の洋風の客間へ案内された。
   天井からきらびやかなシャンデリアの下に、写真どおりの欣々女史がすっ
  くと立っていた。
  「おまえが政治、おまえが徳次。それから、あなたが登鯉子ね。よく来て
  おくれだったね」
  「はい」
  「登鯉子さん。あなたには三越でよく知っていたのに、あなたが妹だなんて」
  「ねえさん」
   登鯉子はもう泣いていた。
   欣々は徳次より十七歳年長のはずだから、ちょうど四十歳。
   新しい型の束髪に結い、すそ長に着物を着ながして、そのうえから流行
  の紫色の被布を羽織っていたが、その胸からふさのついたひもが長くちら
  ちらとたれていて、おまけに両腕にはまばゆいばかりのダイヤを散りばめ
  た腕輪が光っていた。
  (中略)
  「みんな、突然で、おどろいたでしょう。わたしが、あなたがたのねえさ
  んなのよ。おなじおかあさんのおなかから生まれた兄弟姉妹なのよ。こん
  なにたくさん、妹や弟たちがいたなんて。わたし、うれしい。きょうはわ
  たしの生涯で、もっともうれしい、しあわせな日だわ」
   にこやかにほほえんではいたが、ふっと欣々の目にも涙がわくようだっ
  た。
   ひどくかおりのいいお茶と、和菓子が運ばれてきた。
  「さあ、話してちょうだい。みんなそれぞれのことを。そうね、とくに、
  みんながそれぞれ知っているおかあさんのことを。残念なことだけど、わ
  たしにはちっともおかあさんの記憶がないの。知りたいわ、とっても」