江木姉妹小伝(36)

長女の関悦子は関清英の家に引き取られた後、東京で女学校に通っていたが、その
頃4歳年下の樋口国子(邦子とも書く)という友人を得る。この女性は、元栃木の
農民で士族に成り上がった樋口則義の娘であるが、この父親が明治22年(1889)に亡
くなった後は、母親と娘ふたりという女三人だけの家庭となり、かなり貧窮してい
た。姉も国子も裁縫などを請け負うなど、生活費を稼ぐために学業を諦めていた。
しかし実はこの国子の姉が、樋口夏子(奈津子)、つまり樋口一葉なのである。

悦子は国子を通じて一葉とも交友があり、一葉が残した日記にも再々登場する。一
葉の日記は29年(1896)まで残されているが、悦子に関する記述は、あまり分量も多
くないのですべて抜き出してみよう。悦子はすでに結婚して小石川区大塚辻町外に
住んでおり、関場という名前で登場する。明治24年当時21歳である。

  明治24年6月14日【若葉かけ】
   十四日 国子関場君へ行て書物ども少し借てくるうちに学海居士の十津
   川もありき
  明治24年8月1日【わか草】
   国子今日関場君にて反物を貰ふ 幾度となく取出しては打眺めたるは嬉
   しさになめり
  明治24年8月【同上末尾】
   日本外史関場君より借りる
  明治24年9月26日【蓬生日記】
   国子は今日関場君とひ参らせるとて給はりつる栗なと我にもくはす 半
   井うしの事なども聞て来ぬ
   関場君より日本外史及び吉野拾遺をかりて来る
  明治24年10月26日【同上】
   廿六日晴天 国子関場君へ参る 半井君の負債事件聞来る 尾崎紅葉
   不品行なることなどいと多く聞ゆ
  明治25年3月7日〜11日【につ記】
   関場君よりはがき来たり 国子に参りくれ度しとあれば何事かしれねど
   明日参り給へなどといふ
   八日 午後くに関場君へ行 ひる飯馳走に成りて午後帰る 悦子君実家
   の妹十歳になりとかいへるを中嶋師のもとに入門させ度紹介を依頼した
   しと也 同家より
   御伽草紙上下貸与さる
   九日 …相談種々 日没一同退散 関場君依頼一条異議なくとゝのふ
   十日 …国子関場君に復命をもたらす 同家より報知新聞かり来る
   十一日…直に関場君へはがきを出す 暫時して同家よりはがき来る 行
   違ひになりたる也

<続く>