江木姉妹小伝(附記2の2)

関場春武の次男、関場忠武(不二彦の父親)は天保9年(1838)1月17日生まれ。当然
会津藩士であったのだが、彼は戊辰戦役を生き残る。敗軍となった松平容保会津
藩は、明治2年(1869)の版籍奉還で旧南部藩領を与えられる(これは左遷ではなく、
容保が望んだものらしい)。この時に旧藩士およびその家族17,000人あまりが同行
したが、関場忠武も息子不二彦と共に同道し、斗南藩大湊(青森県むつ市)に移住
する。しかし斗南藩は、北国の厳しい環境に農業もうまく立ち行かず、松平容保
廃藩置県を期に東京へ行ってしまうなどあり、旧会津藩士たちは次第に全国に散っ
ていったとのことである。そういった経緯によるものかどうか分からないが、忠武
は役人というよりも歴史家・著述家として名を残している。代表的な著作に『葦名
家由緒考証』『葦名世系年代事績考』『浮世絵編年史』などがある。

息子の関場不二彦はその影響を受けたのか、明治の新時代に学問で身を立てること
を決意し、見事東京帝国大学に進むことに成功したというわけです。