江木姉妹小伝(附記3)

さてまたまた話はそれるが、松江豊寿という人をご存じであろうか。この人の伝記
映画が2006年に封切られるとのことなので、少しその絡みを書いておきたい。
松江豊寿という人は第一次大戦時、徳島県鳴門にあった捕虜収容所長で、そこには
青島に駐留していて捕虜となったドイツ兵が約1000人収容されていた。しかしその
収容所は非常に人道的に運営され、捕虜であるはずのドイツ人との交流からパンや
工業などの技術や文化が町に拡がり、ベートーベンの第9はここで日本初の演奏を
なされることになる。
ドイツ本国でも評判が高く、模範的収容所とまで言われた。日本では『二つの山
河』という小説で有名になった。

さてこの松江豊寿大佐、正義感と信念を曲げないことでは有名で、当時二度軍法会
議にかけられたことがあるらしい。その1回は明治40年(1907)浜松の第67連隊付少
佐であった時代のことである。この時、松江は上官に意見して軍法会議にかけられ
たが、結果として無罪になっている。しかしこの明治40年といえば浜松の第67連隊
が編成された年であり、その時の連隊長は江木精夫中佐なのであった。つまり、連
隊付少佐であった松江豊寿が口答えした上官というのは、江木精夫であった可能性
が高い。のである。

ただしこの話は遺族による回想であるようで、事実確認ができていない(検証不可
らしい)。実際何が問題だったのかはわからない。松江豊寿関係の本でも深くは触
れられていないが、松江の信念を語るエピソードとして語られているので、その書
きっぷりでは江木精夫に少々分が悪いが、そもそも当時の軍隊組織で上官に反論す
ること自体問題と言えば問題。
ちなみに江木精夫は長州出身、松江豊寿会津出身である。