江木姉妹小伝(附記4)

ところで面白い所で江木千之の名前を見つけた。
大正天皇崩御して大正から昭和に改元された時、東京日日新聞元号をスクープ
した事件があった。スクープした元号は「光文」だったが、ご存じの通り発表され
たのは「昭和」。ちなみにこの時の内閣には江木翼が鉄道大臣として名を連ねてい
る。
ともかくこれは世紀の大誤報事件として世間を賑やかし、売り上げ部数最多を誇っ
ていた毎日新聞の凋落(というほどのものではないか)の遠因となったらしいのだ
が、実は本当は「光文」と決定していたのだが、新聞社にスッパ抜かれたために、
あわてて「昭和」に差し替えたのではないかという噂がまことしやかに囁かれてい
るのである。
この事件について書かれた猪瀬直樹の著書『天皇の影法師』によれば、この毎日新
聞にとって屈辱の事件から30年経過して、NHKの番組「私の秘密」に「大正天
崩御の際、次代の年号は私の選んだ<光文>に決まりましたが、事前に新聞に発
表されたため、<昭和>になりました。」という人間が登場したのである。
びっくりした朝日新聞の元幹部が、その問題提出者であり、、当時黒田長成侯爵家
の藩史編纂所に務めていたという漢文学者中島氏に面会しに赴き、その経緯を確認
する騒ぎとなった。
中島氏は枢密院の非公式な元号選定委員会の委員長だった黒田侯から依頼され、漢
代の詩人の「文錦賦」のなかから『光文』を選び、委員会のメンバーも賛成、これ
にしようとなった。ところが崩御の後、新元号は『光文』だという号外が出て変更
のほか道はなかったと答えたという。

という事件なのだが、この元号選定委員から中村氏の所に派遣されたのが、当時貴
族院にいた江木千之だったというのである。

ちなみにこの大誤報をスクープした杉山記者は東京日日新聞を退社したあと、飛行
機王中島知久平の政策ブレーンのひとりとして国策研究会に所属している。この国
策研究会の中心が、東京商科大学の猪谷善一教授であるという。この猪谷善一はま
た後にこの連載に登場してくる。